2009年6月15日月曜日

第九十八夜/カラスが教えてくれた事

 今頃の季節、生きもの達も子育ての真っ最中、多くの鳥達も巣立ちをむかえる。先日は仕事先でハシブトガラスの幼鳥を道路脇で見つけた。クチバシの両端がまだ黄色く、全体に幼さが残る。十分に自力で飛べるがまだまだよちよち飛びだろう。無事に巣から飛び出たものの疲れて一休みと言わんばかりに表情だ。僕が気づき立ち止まるとさっそく頭上の電線で両親の大騒ぎが始まった。こんな場面をよく人間は、カラスに威嚇されたとか、攻撃されたとか言うが、僕はいつも疑問に思う。実際にそんな状況も今迄に無かったかと言うと確かにあった。頭上から枝やフンを落とされたこともある。しかし、子ガラスから離れるとそんな騒ぎは収まってしまうのだ。僕はこの親ガラスの騒ぎは、けっして人間への威嚇ではなく「小ガラスへの教育」だと思う様になった。多分、彼らは「早く飛びなさい!」とか「動くんじゃないよ!」とか「頑張ってここまで来なさい!」、「知らない人についていっちゃだめよ!」などと言っているのだろう。いずれにしても注意を促していたり、励ましている言葉であると思う。これは立派な子どもへの教育である。ただし人間と子ガラスとの安全距離(子ガラスが自力で逃げ出せる距離)を超えると親は直接的な保護行動にでるだろう。なぜそう言えるかと言うと、この場面を人間に例えると判りやすい。子どもが道路端にいる時に一台の車だやってきた・・・さてこの時、人間はどう声をかけるだろうか?「車が来ているから気をつけて!」、「動かないで!」、「飛出しちゃだめよ!」、「こっちに来なさい」など言うだろう。最初からだれも車に向って「子どもに近づくんじゃない!」とか「何してるんだ!!」と怒ったりしない(近年は判らないが)、これでは本当にケンカになってしまう。これは最後の保護行動である。そんな様に考えるとカラスの言葉がおぼろげながら判ってくる。だからカラスの騒ぎは、人間への威嚇ではなく子どもへの教育なのである。人間はつくづく自分本位な生きものだと思う。カラスの両親は、ちゃんと子ガラスに人間との距離の置き方や人間の怖さ(?)、逃げるタイミングなどを教えている。一方、人間は自らの子どもにカラスとの距離の置き方を教え無いどころか、被害者意識を植え付ける、「危ない生きもの」と言うレッテルを貼ってしまう。人間はカラスの言葉が科学的に判らないだけである。自分達が(能力的に)理解出来ない生きものを一方的な色眼鏡で見てはいけない。

 話しがそれるが、以前こんな興味深い出来事が2つがあった。
 
 まずはじめに。仕事帰りにカラスの風切羽根を一枚拾った。あまりにも大きく奇麗だったのでカバンのポケットに納めた。そんな僕を一羽のカラスが見ていた。僕もカラスの存在は気づいていた。僕はそのまま仕事場にしていたワンルームマンションまで歩いた。この間、15分ぐらい。不思議なことにそのカラスは僕が玄関に入る迄、電線沿いに付いて来た。そのカラスは、自身か仲間の羽根を拾った人間がどこに帰るかを確実に認識したと思う。

 また別の時はこんなカラスもいた。ある子ガラスは片羽根に障害を持っていたために飛ぶ事が出来なかった。いつも一羽だけで同じ場所で遊んでいた。地面を歩いたり、脚や不自由な羽根を使って低木や灌木に飛び上がり、安全な高さの枝まで移動して止まっていた。幸い、墓地だったので食べモノには不自由し無かったようだが、この幼鳥の親は2年近くもの間、幼鳥がいなくなるまで(野良猫にでも襲われたのだろう)、いつも近くにいて猫や人から守り続けていた。

 カラスを見ていると本当に飽きない。彼らに声をかけると耳を傾ける。一羽一羽の個性が違う、ヒステリックな親ガラスもいればオットリとした親ガラスもい る。ひとえにカラスは云々と言うにはもったいない。実に個性も表情も豊かな生きものである。

 カラスやスズメバチへの話しが起る時にそんなことを紹介するとよく返される意見がある。僕の意見は「自然に詳しい専門家の理想的見解」や「自然愛好家の楽観的見解」であるという。つまり普通の人間はそんな風には思わないと言うのである。極めて普通の僕は研究者じゃないので少々科学的でない事も自由に考えている。テレビでタレント達がおもしろおかしく生きものを擬人化すると言う事ではなく、自分を彼らに置き換えた時に違う見方が生まれる。人間も彼らの言葉や行動にもう少し耳を傾けても損は無い。僕たち人間にいろいろなことを教え てくれるのだ。 

 ただしカラスと付き合う時の大切な約束事があります。カラスに騒がれたらけっして目を吊り上げて怒ってはいけない、拳を振り上げてはいけない、ひるんでもいけない。「大丈夫、大丈夫、何もしませんよ!」と笑顔で答えること。この時、必ず「笑顔」で! 最近のデジカメの笑顔認識モードよりもずっと優れた笑顔認識をしてくれるはず。

やっぱりカラス話しは長くなります。

後日記:昆虫のT先生がカラスにフンをかけられせっかく着たシャツが汚れてしまった・・・と。でも当の先生はちょっと迷惑そうな中にも、笑いがあってどこか嬉しそうにも見えた・・・この許容が生きものと付き合うときの「こころ」かな。(6/16)

Photo:@兵庫県芦屋市

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