
話しがそれるが、以前こんな興味深い出来事が2つがあった。
まずはじめに。仕事帰りにカラスの風切羽根を一枚拾った。あまりにも大きく奇麗だったのでカバンのポケットに納めた。そんな僕を一羽のカラスが見ていた。僕もカラスの存在は気づいていた。僕はそのまま仕事場にしていたワンルームマンションまで歩いた。この間、15分ぐらい。不思議なことにそのカラスは僕が玄関に入る迄、電線沿いに付いて来た。そのカラスは、自身か仲間の羽根を拾った人間がどこに帰るかを確実に認識したと思う。
また別の時はこんなカラスもいた。ある子ガラスは片羽根に障害を持っていたために飛ぶ事が出来なかった。いつも一羽だけで同じ場所で遊んでいた。地面を歩いたり、脚や不自由な羽根を使って低木や灌木に飛び上がり、安全な高さの枝まで移動して止まっていた。幸い、墓地だったので食べモノには不自由し無かったようだが、この幼鳥の親は2年近くもの間、幼鳥がいなくなるまで(野良猫にでも襲われたのだろう)、いつも近くにいて猫や人から守り続けていた。
カラスを見ていると本当に飽きない。彼らに声をかけると耳を傾ける。一羽一羽の個性が違う、ヒステリックな親ガラスもいればオットリとした親ガラスもい る。ひとえにカラスは云々と言うにはもったいない。実に個性も表情も豊かな生きものである。
カラスやスズメバチへの話しが起る時にそんなことを紹介するとよく返される意見がある。僕の意見は「自然に詳しい専門家の理想的見解」や「自然愛好家の楽観的見解」であるという。つまり普通の人間はそんな風には思わないと言うのである。極めて普通の僕は研究者じゃないので少々科学的でない事も自由に考えている。テレビでタレント達がおもしろおかしく生きものを擬人化すると言う事ではなく、自分を彼らに置き換えた時に違う見方が生まれる。人間も彼らの言葉や行動にもう少し耳を傾けても損は無い。僕たち人間にいろいろなことを教え てくれるのだ。
ただしカラスと付き合う時の大切な約束事があります。カラスに騒がれたらけっして目を吊り上げて怒ってはいけない、拳を振り上げてはいけない、ひるんでもいけない。「大丈夫、大丈夫、何もしませんよ!」と笑顔で答えること。この時、必ず「笑顔」で! 最近のデジカメの笑顔認識モードよりもずっと優れた笑顔認識をしてくれるはず。
やっぱりカラス話しは長くなります。
後日記:昆虫のT先生がカラスにフンをかけられせっかく着たシャツが汚れてしまった・・・と。でも当の先生はちょっと迷惑そうな中にも、笑いがあってどこか嬉しそうにも見えた・・・この許容が生きものと付き合うときの「こころ」かな。(6/16)
Photo:@兵庫県芦屋市
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