2011年8月23日火曜日

第三百三夜/クモの子を散らす

「蜘蛛の子を散らす」=「大勢の者が散り散りに逃げていく様子をいう」。知っていることわざだが実際にクモの子を散らすことはあまり無い経験だと思う。今夜の写真は、このクモの子を散らした状態のもの。写真のクモは「イオウイロハシリグモ」という、このクモは普段餌を捕る巣をかけない。ただし母グモはまんまるの「卵のう(卵の塊を糸でくるんだもの)」をくわえて運び守るが孵化する前に草葉間に吊るした卵のうのまわりに保護用の簡単な巣をかける。孵化してしばらくはまだ母グモが卵のうを守っているが、この巣に母グモの姿は見当たらない。子グモの塊を写そうと葉に触れてしまった・・・この瞬間、まさに「蜘蛛の子を散らす」状態が起こった。何匹いるのだろう500以上か1000匹以上か見当もつかない、小さなクモがものすごい数動き出した。この塊を「まどい」と言う(団居る、円居=1か所に集まり会すること、特に親しい者どうしが集まって楽しむこと)。 ただしむやみに散ること無く、やがて落ち着くともとの塊に戻った。塊から出ることは、補食される確率が高いのだからもうしばらく大きくなるまで「まどい」を続ける。そこで新たな疑問が、この大きさ子グモの餌は何だろうか・・・ひょっとするとこの中で共食いも起こっているかもしれない。さてこの中から親にまで生き残る確率はどれほどのものだろうか。まどいの大きさは、直径3〜5cm程度。Photo:2011/08/23 @京都御苑、京都市

2011年8月16日火曜日

第三百二夜/子育てをするクワガタ

 「チビクワガタ」と聞くと少し冗談のような名前だが、れっきとしたクワガタムシの一種。他種のように♂が大きなアゴを持っているという訳でなく、名前から想像できるように体長15mmほどのチビで、♂も♀も小さなアゴしか持たない。ただし、他種との違いはその体形よりもその生活にある。普通、昆虫類は親子が互いの顔を知らない、ましてや親が子育てなんかしない・・親は卵を産み死ぬ、その後卵からふ化した幼虫は成長しやがて親となる。しかし、このチビクワガタは、朽木・倒木の中で家族単位で暮らし、成虫(親)が材を噛み砕いて幼虫の餌を生産するという亜社会性生活を営む。成虫(親)は、動物性の餌を好み、樹皮下でミミズや他の昆虫などを捕食しているようだが、樹液に来ることもあるらしい。意外と飛翔性が高く、灯火にもよく飛来する。そんな家族単位の暮らしだから、倒木を割ると100頭以上もの成虫と幼虫が見つかることがあるという。こうなれば家族というよりも「村」の様相だ。Photo:2011/08/07 @京都御苑、京都市

2011年8月10日水曜日

第三百一夜/お面を持つベッコウハゴロモ


 昆虫が持つ翅や体の色や斑紋を見ていつも不思議に思う。なぜそれが必要なのだろうか、どんな時にそれが役立つのだろうか。そして時としてその意味が観察で判ることがある。今日のベッコウハゴロモとクサギカメムシがそうだった。クサギの枝にとまるベッコウハゴロモを写そうと観察していた時、正面からクサギカメムシがやってきた。クサギカメムシがハゴロモの前まで来たその時、ベッコウハゴロモは逃げること無く翅を垂直に、つまり正面から来る相手に対して最大に見える状態にして翅の斑紋を見せつけた(写真上)。瞬間、カメムシの脚がとまり、ハゴロモを避けるように通り過ぎたのだった。なんらかの効果はあったようだ。昆虫の写真を撮る時は頭を上位置にしてしまいがちだが、ベッコウハゴロモの場合、頭を下にした時に翅の左右にある斑紋が「鋭くにらむような目」に見えることが判った。目に見える斑紋は左右の端にあるのでまるで大きな顔に見える。なんと太い眉もある、きりりとした鼻筋も見える(写真下)。そして一番大切な頭部はなんの斑紋もそなわっていない。おそらく捕食者の一撃は翅の目にむけられるだろう、しかしその時は逃げれば良い。大切な身体の部位にはまったく影響は無いのだから。翅の斑紋はまるでパプアニューギニアの原住民のお面のようでもある。Photo:2011/08/09 @京都御苑